2011年05月10日

いま真剣に考えるべきことC

聞けば当たり前のように理解できてしまう故に


「判断基準」の意味や価値は本当にとても気づきにくいものです

頭で分かるレベルはただの知識です
(ここには特に陥りやすいです。わたしも随分やりました^^;)

知識で知っていることと日常生活(人間関係)で応用活用できることは実は次元が違います。

以前の記事でご紹介しましたが

「教養とは、人の心が分かることである」(養老孟司さんの言葉)
http://ameblo.jp/kenb-hitotsu/entry-10840362858.html

単なる暗記知識は教養ではありません


実際に相手の心に共感できるセンス、本質的に大事なものを優先的に行動する感覚というのでしょうか、
これは本当に男性は女性にかなわないと思います。


私も例外ではなく「判断基準」に対してとても甘く見ていたときがありました。

知識で理解できたレベルで自分は活用できていると錯覚していたのです。
(ですから私には判断基準ネタがたくさんあります^^)


私が20代後半のときに医療ケア系の店舗でリーダー的立場をしていたことがありました。

自分のやり方、方法論をスタッフに押し付け、できない人を責め続けていた経験があります。(相手だけが悪いという規定をして)

結局、会社のためにと頑張れば頑張るほど、スタッフたちとの距離が生まれ孤独、孤立していく経験を味わいました。

そんな私が判断基準の価値の重さに気付いて思うこと


人の判断基準は

「自分が自分をどう理解しているか」

「自分が他人をどう理解しているか」

「自分が宇宙をどう理解しているか」

によって大きく変わってきます



判断基準を変化させるために必要な条件が二つあります


それは

@いま自分の判断基準を知ること(現在地)

A究極の判断基準を知ること
(自分や他人の判断基準に支配されない器=目的地・ゴール)

※地図を見るとき必ず現在地と目的地の確認が必要ですよね



【これまでの学問、宗教、成功哲学、自己啓発の限界】


自分の判断基準を客観的に分からないままで、誰かの判断基準

を真似して幸せや自己変化をしようとしてきました。

もちろん真似ることも効果はありますが

本質的な変化には直接的に繋がりません

人間関係においては
相手の心を観るセンスが必要ですから、自己管理、タイムマネージメント能力とは異なるセンスが必要です。

根本の判断基準が変わっていないままでやり方や思い方だけを変えることは矛盾や葛藤が必ず生じます。

その結果、
多くの人は「やっぱりまた出来なかった」「変わっていないかも・・」と挫折、諦め、自己否定、他社否定などを蓄積することが多くなります。

なぜなら判断基準から自由になるのではなく、判断基準をより強固にしていくので苦しくなるのです。


【結論】
判断基準の変化に必要なものは「よい判断基準のモデル探し」ではなく、

全ての判断をなくすことが自在にできる「悟り(差を取ること)」

を得ることです。


判断がなくなることの意味は選択能力がなくなることではなく

全ての存在に対してありのままの価値を観ることができることです。


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posted by kenmiura at 08:05| 北海道 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本復興 歴史 教育  政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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